
9.11――あの日、ニューヨークで感じた「共に生きる」ということ
ダイワ不動産の手嶋です。
本日は、2001年9月11日にアメリカで発生した「9.11同時多発テロ事件」についてお話ししたいと思います。
あの日から、今年で25年という節目を迎えます。
実は私は、当時ニューヨークに住んでおり、9.11同時多発テロを現地で経験しました。世界中を震撼させたあの出来事は、私自身にとっても決して遠い出来事ではなく、今でも当時の記憶が鮮明に残っています。
今回は、事件から25年という節目にあたり、当時ニューヨークで暮らしていた一人の日本人として、私自身が見たニューヨークの街の様子や、その後の社会の変化、そして9.11という出来事を通して感じたことについて、私自身の体験を交えながらお話ししたいと思います。
・2001年9月11日 AM8時46分(日本時間11日21時46分)
あの日、私はニューヨークのブルックリンに住んでいました。
あれから25年近くが経とうとしていますが、今でもあの日のことを鮮明に覚えています。
私は当時、学校に通っており、その日の朝も、いつもと同じように学校へ行く準備をしていました。
まさか、その日が世界を大きく変える一日になるとは、もちろん知る由もありませんでした。
・早くテレビを見てみろ!
そのときです。
当時ルームシェアをしていた友人のジャマイカ人の男性が、ものすごい勢いで私の部屋に入ってきました。
そして、テンションMAXの状態で、
「早くテレビ見てみろ!ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ!最終戦争、Armageddonになるぞ!」そう叫んだのです。
あまりにも突然のことだったので、最初は何を言っているのかよく分かりませんでした。
言われるままテレビをつけると、そこには信じられない映像が映し出されていました。
ワールドトレードセンターから煙が上がっている。
そして、ニュースを見ているうちに、これは単なる事故ではない。
テロが起きている。
そう理解しました。
・「あの場所」が攻撃された
私にとってワールドトレードセンターは、テレビの中だけに存在する建物ではありませんでした。
私はそれまでに何度も訪れたことがあります。
実際に建物の中に入り、エレベーターで最上階まで上がったこともあります。
そこから見たニューヨークの景色。
マンハッタンの街並み。
世界中から人が集まるニューヨークという街。
その光景を知っていたからこそ、テレビに映る光景を現実のものとして受け止めることができませんでした。
「自分が実際に行ったことのある場所が、今、攻撃されている。」
その感覚は、今でも忘れることができません。
・9.11の前にも、テロはあった
実は、ワールドトレードセンターでは、9.11の8年前にも爆弾テロ事件が起きています。
1993年2月26日、地下駐車場で爆発が起き、多くの人が犠牲になりました。
私がニューヨークにいた頃には、その事件の記憶も残っていました。
そのため、ワールドトレードセンターのセキュリティーは非常に厳しかったという印象があります。
建物に入る際の警備などを見て、
「ここは世界を代表する建物なのだから、これくらい厳重なのだろう」
と、当時は自然に受け止めていました。
それでも、まさか航空機が2機も建物そのものに突っ込んでくるなど、誰が想像できたでしょうか。
・日本の家族にも電話がつながらない
事件が起きた直後、もう一つ強く記憶に残っていることがあります。
日本にいる両親や友人たちのことです。
テロの影響で電話が非常につながりにくくなり、連絡を取ることが難しい状況になりました。
ニューヨークにいる私からすれば、家族や友人に「自分は無事だ」と伝えたい。
日本にいる家族や友人からすれば、「ニューヨークにいる息子は?、手嶋は大丈夫なのか?」と心配する。
しかし、電話がつながらない。
今のように、スマートフォンですぐにメッセージを送ったり、映像で顔を見たりできる時代ではありませんでした。
日本にいる両親や友人たちには、本当に心配をかけたと思います。
あのときの「連絡が取れない」という不安は、今でも記憶に残っています。
・次は細菌テロという噂
さらに、9.11以降、街にはさまざまな噂が流れ始めました。
「次は細菌テロが起こるのではないか」
そんな話まで聞こえてくるようになりました。
何が本当で、何が噂なのか。
情報が錯綜し、人々は次に何が起こるのか分からない状況に置かれていました。
実際、街では防毒マスクを販売している店を見かけたことも覚えています。
今振り返れば、それほどまでに人々が恐怖に包まれていたということなのだと思います。
一つのテロ事件が起きただけではありません。
「次に何か起きるかもしれない」
という恐怖が、日常生活の中に入り込んでいたのです。
・そして、街の「違い」が意識されるようになった
ニューヨークは、もともと世界中の人々が暮らす街です。
私のルームメイトもジャマイカ人でした。
街には、アメリカ人だけでなく、ヨーロッパ、中南米、アジア、中東、アフリカなど、さまざまな国や地域から来た人々が暮らしていました。
人種も宗教も文化も違う。
でも、それがニューヨークの日常でしたし、魅力でもありました。
ところが、9.11を境に、その「違い」が以前よりも強く意識されるようになったと感じました。
特に、イスラム系の人々や中東系の人々に対する視線は変わりました。
事件後には、イスラム系の人々が経営する店舗などが襲われたり、放火されたりすることもありました。
テロを起こしたのは、ごく一部の過激な人間です。
しかし、その怒りや恐怖が、何の罪もない人たちに向かってしまう。
それは、とても悲しいことでした。
恐怖は、人の心を変えてしまう
私は9.11を経験して、「人は恐怖によって変わってしまう」ということを実感しました。
平穏なときには、
「いろいろな国の人がいて面白い」
「文化が違っていても、それぞれの生活がある」
と考えることができます。
しかし、自分や家族の命が脅かされるような出来事が起きたとき、人は冷静でいられなくなる。
「自分とは違う人」を警戒するようになる。
そして、その警戒がいつの間にか、偏見や差別につながってしまうことがあります。
これは、9.11を経験したニューヨークだけの問題ではないと思います。
・多文化共生は、決して簡単ではない
日本でも、外国人と接する機会が増え、多文化共生という言葉を耳にすることが多くなりました。
私自身、不動産という仕事を通して、さまざまな人と接する機会があります。
国籍や文化、考え方が違っても、住まいを探し、生活を営み、家族を守りたいという気持ちは、人として共通しています。
だからこそ、私は「共生」という言葉について考えることがあります。
「多文化共生」という言葉を聞くと、何となく美しい言葉に聞こえます。
お互いの文化を尊重し、仲良く暮らしていく。
もちろん、それは理想です。
しかし、実際にさまざまな文化を持つ人たちと暮らしてみると、決して簡単ではありません。
言語が違う。
国籍が違う。
文化が違う。
宗教が違う。
考え方も違う。
時には、「なぜそんなことをするのだろう」と思うこともあります。
だからこそ、共生には「違いを認める努力」が必要なのだと思います。
そして、それは相手だけに求めるものではありません。
自分自身もまた、相手から見れば「違う存在」なのです。
多文化共生とは、みんなが同じ考え方になることではありません。
違いをなくすことでもありません。
むしろ、「違う」ということを前提に、一緒に暮らしていくこと。
それが共生なのだと思います。
・あの日から25年近く経って
ワールドトレードセンターは、今はもうありません。
しかし、私の記憶の中には、あの建物があります。
何度も訪れたこと。
最上階まで上がったこと。
そこから見たニューヨークの景色。
そして、9.11の朝、ルームメイトが血相を変えて部屋に飛び込んできたこと。
「早くテレビを見ろ!」
あの言葉から始まった一日は、私の人生の中でも決して忘れることのできない一日になりました。
あの日、私はテロの恐ろしさを知りました。
同時に、恐怖が人々の心を変え、社会の中に新たな分断を生み出してしまうことも知りました。
だからこそ、25年近く経った今、私は9.11を「テロの悲惨さ」だけで終わらせたくありません。
あの出来事から、私たちはもう一つのことを考えなければならないと思います。
それは、
「違う人たちが、どうすれば同じ社会で生きていけるのか」
ということです。
国籍が違っても、宗教が違っても、肌の色が違っても、人は一人ひとり違います。
その「違い」を理由に恐れたり、決めつけたり、排除したりするのではなく、
「この人には、この人の人生がある」「なぜ、この人はそう考えるのだろうか」
と一度考えてみる。
決して簡単なことではありません。
でも、それを考え続けることが、共生への第一歩なのではないかと私は思います。
ニューヨークで暮らし、9.11を経験した一人の日本人として、私はそう感じています。
あの日、私が見たもの、感じた恐怖、そして街の変化。
それらは25年近く経った今でも、私の中から消えることはありません。
そして、あの悲劇を二度と繰り返さないためにも、
「違いを恐れるのではなく、違いを理解する努力をする」
それが、ニューヨークで9.11を経験した一人の日本人として、今の私が伝えたいことです。
最後に、
9.11で亡くなられた方々と、そのご家族に、心より哀悼の意を表します。
Always in our hearts.. Never Forgotten.. 9.11